makoto gomiby nori
profile
五味誠 Makoto Gomi
1965.5.1生まれ
血液型:O型
■ZEPPET STORE 黎明期(1989~1994)
1989年、ZEPPET STOREを結成。1992年UNDER FLOWER LABELのコンピレーションに参加。
1994年、同レーベルより1st album 『SWING,SLIDE,SANDPIT』を発売。
『Vol.1/Flowers Flavor』 『Vol.3/Flowers Makes Sense!』 『Vol.4/Enchanted By The Flowers』に各1曲参加。

何度かのメンバーチェンジを繰り返す中で拠点も本八幡→高田馬場→五反田→吉祥寺→都立大と移っていく。サウンドも徐々に進化していく。 ライブはもっぱら下北か三茶。ライブ前日にサッカーで痛めた足を引きずって当時ライブ前に時間を潰していた店に行った際、店員に 「おケガされたんですか?」と聞かれついつい「ええ、練習で…」などと本物のサッカー選手を気取ってみたりした。 英Creationレーベル所属Boo Radleysのオープニングアクトとしてクアトロ初体験。自信を深めていく。 『SWING,SLIDE,SANDPIT』は2007年メンバー監修のもとリマスタリング+当時の未発表ライブ音源をセットし2枚組として甦った。

■ZEPPET STORE 成長期(1994~1996)
1996年、アメリカのCentury Media Recordsより2nd album 『716』を発売。

『SWING,SLIDE,SANDPIT』をみそめたX Japanのギタリストhideとの「パトローネス」「クリエンティス」の関係のもと『716』発売。Los Angeles/San Francisco/Seattleをまわる西海岸ツアーへ。何かに取りつかれたかのように事件に巻き込まれヘコむ最中… 内容は割愛させて頂く…元気づけてくれたのは「アメリカのコーヒー薄いんだよ!」と完全なカフェイン中毒で暴れていたたために見かねたhideさんからの日本製缶コーヒー1ケースの差し入れと、Century Media総帥オリバー氏との謁見の際、氏がドイツ人と聞き「ザマー、リッケン、メラー」 などと名前を挙げたサッカー選手がたまたまボルシア・ドルトムントの選手でドルトムントのウルトラである彼に気に入られたのか贈られた同チームのレプリカ・ユニフォームだった。やはりサッカーは世界の言葉だと再認識する。

■ZEPPET STORE 飛躍期(1996~1997)
同年MCAビクター/LEMONedよりメジャー・デビュー。
『声』 『To Be Free』 『SUPERSTITION』の3枚のシングルを発表。
翌1997年3rd album(メジャー第一弾アルバム)『Cue』を発売。

『Cue』のクレジットを見ればわかるが、レコーディング終了直後の脱退のためジャケット制作などには一切関わっていない。 発売 時にはすでにバンドを脱退していた。デビューシングル『声』の発売からわずか4ヶ月でのメジャーからのスピード離脱に周囲の反応は「やは りあいつじゃもたなかったか…」であったのだろうか?もちろん本人の耳には届いていない。ただ言えるのは1995年のhideさんとの出会いと 彼と共有できた限られた時間はまさにジェットコースターに乗ったような体験でその後の人生のあらゆる場面に何かしらの影響を与え続けて いる。

以下、ZEPPET STOREメンバーリスト(自身在籍時まで)

アキラ(中学の同級生)/木村世治(ご存知hurdy gurdy)/いっちゃん(アキラが進学し俺が落ちた市川東高の友人)/ゆきちゃん(世治ドラ マー期のベーシスト、時代を先取りしたZEPPET史上唯一の女性メンバー)/ケンヤ(世治がつれてきたハイパー・グラム・ロッカー)/ 柳田 英輝(ご存知DRYASDUST.biz)/上田っち(ヤナがつれてきた吉祥寺のフレーズ王)/遠矢(ヤナがつれてきた元某有名理数系大学院生に して現ITソルジャー)/中村雄一(ご存知LUCY's DRIVE)

■wipe(1999~2001)
1999年wipe結成。
dot dot Recordsよりシングル3枚 『i go against slider』 『purple ep』 『strobe ep』アルバム2枚 『wipe』 『open』を発表。

ZEPPET STOREの脱退以降、その空白を埋めるかのようにバンド結成からわずか2ヶ月で制作された1st albumは新しい仲間に出会えた喜びとその初期衝動をパッケージすることに成功。だが制作は順調もライブにおいては不安が首を擡げる。ブランクを埋めるための「リハビリ・ライブ」を挙行。都内を中心にシークレット・ライブに明け暮れた。正式メンバー同様にバンド形成の骨組みを担ってくれたサポート・ベーシトJu-kenとの出会いも大きかった。公私にわたって仲の良いバンドで関西人コンビに感化されついに子供の頃から憧れていた「関西人」に。タツ/クニというあまりに優秀なローディにも助けられ「ライブは嫌いだ」と文句を言いながらもある意味一番バンドらしく精力に活動した時期。 バンドは目指すサウンドではなく意識を共有するものだと実感できた。 が、歴史は繰り返す。2001年3月突如バンドは活動停止に。

以下、wipeメンバーリスト

山田浩文(ご存知RaFF-CuSS.SUZUKI BED MUSIC)/ナカガワヤスヒロ(現hurdy gurdyサポート)/ワタベヨシユキ(現blow OLIVIAサポート)

■DROP(2001~2004)
2001年DROP結成。2004年DeadstoksandwicH Recordsより1st album『DROP』を発売。

wipe活動停止後「お父さん、おウチでお仕事できるようにしましょうね」というJu-kenの完全バックアップのもとDTMを導入。それまでコンピューターを触ったこともない男が悪戦苦闘の末、自宅の作業とメンバーが集まるスタジオをシームレスにつなぐ環境を手に入れる。ライブにおいてはその後のsphereで定番となったS.E.数珠繋ぎを早くも導入。下北沢CLUB Queを拠点としマイペースではあるが着実にパフォーマンスを向上させる。すべての音を完全監修する自己責任は作品発表の遅延という結果を招く…結成からアルバム発表まで3年を要す…が、ライブ会場でのCD無料配布(2作品)を経てできあがった作品への満足度は格別であった。渋谷HMVインディーズチャート1位を記録するも「渋谷を制するものは日本を制す」の格言とは裏腹に1st album発表直後活動停止。

以下、DROPメンバーリスト

Collon(シザーハンズな女性Vo)/Jack(結婚式の司会も勤めてくれたベーシスト)/ナカガワヤスヒロ(同上)

■sphere(2004~ )
2004年sphere結成。2007年TETRAHEDRON RECORDSより1st album『Echo and Narcissus』を発売。

中條から渡されたデモ音源がきっかけで結成。当時はユニットという形態を取っていたがライブでの表現を求めバンドとして再始動。それまであまり積極的ではなかったデジタル機材との同期やVJとの競演、サンプラーを導入してのトリガー演奏(これは完全にRUSHの影響だ)、 ほぼ毎曲で使い分けるギター郡など新しい試みをアグレッシブに取り入れるが機材が膨らみすぎて自分の首を絞める結果に…いや、大変なのはきよしとクニと雄太だな…。あらゆる意味で今までで一番コンセプチュアリーな表現形態であり、いまだ膨張し続ける球体。2007年7月に1st albumを自身のレーベル TETRAHEDRON RECORDSより発表。今後sphere第二章を構築していく。

http://www.spheresongs.com

以下、sphereメンバーリスト

中條有紀(愛称「姫」)/村間清(愛称「きん」)/石橋竜太郎(愛称「ドラ」)/ナカガワヤスヒロ(愛称「やってぃん」)

■HOODIS(2006~2007)
2006年HOODIS結成。2006年UNDER FLOWER LABELより1st album『Chapter Zero』を発売。

短期間でガシっと集約して作品を制作する方法はwipeで実証済みであった。このバンドで新たに試みたのはDROP/sphereではあり得ないバンドメンバー1/4、純粋なギタリストとしてのアプローチ。回顧的な側面を持ちながらも新鮮な気持ちになれた。世治とのソング・ライティングはお手のもので9年ぶりの共作もブランクは感じなかった。お互いの最良を導き出せる同士であることは自他共に認めるところであろう。製作過程も実に楽しく和気あいあいな雰囲気とは裏腹に、お互いのスケジュールやスパンの違いなどでなかなか本腰を入れた活動ができないが、それぞれのタイミングが合えばChapter One…Twoも作ってみたい。

以下、HOODISメンバーリスト

木村世治(ex. ZEPPET STORE、現hurdy gurdy)/三浦薫(ex. walrus、現oak)/田沢公大(ex. SUPARCAR)

■new project(2008~ )
2008年、このウェブサイトを立ち上げ、今までの自身の足跡をたどりつつ、新しいプロジェクトに着手しはじめている。